わたしは水戸黄門が好きなのかもしれない。

卒論を全く書けていない。書こうというやる気さえ湧かない。

私は無事に卒業できるのだろうか、それは神のみぞ知る。

 

っと言う話は一旦置いておこう。題名の水戸黄門を私は一度も見たことがない。

父親水戸黄門が好きで私はなんでこんなずっと結末が同じものをずっと飽きずに見続けることが出来るだろうかと不思議でたまらなかった。

 

しかし、その概念が遂に覆される時がやってきたのだ。しかし、水戸黄門を私が好きになった。おしまいっと言うような話ではない。

まず私は未だに水戸黄門を見てはいない。しかし、結末が同じものをずっと飽きずに見るっと言う点では多分同じなのだろう。

 

事は台風22号が来る二日前、バイトも大学の授業も無く実に暇を持て余していた日に遡る。

ふと「春を抱いていた」っというBLマンガの存在を思い出したのだ。

このマンガとの出会いは古く、私が中学生の時もしくはもう少し前の小学校高学年の頃だろうか。母親がこの手のBLマンガが好きで私も母の目を盗んでコソっと読んでいた。

その当時は男性同士の恋愛と言うものが想像出来ず、このマンガの他にも沢山のBLマンガがあったのだが、それを目にした時の驚きと衝撃はとてつもないものだった。

最初のうちは見てはいけないものを見てしまった背徳感に幼いながらも悩まされたが、このマンガを読んでいる内にこのような世界もあるのだと言うことを理解していった。

 

では少しここでこのマンガの紹介を簡単にしよう。

このマンガは芸能界を舞台に繰り広げられる物語であり、元AV男優の岩城京介と加藤洋二とそれを囲むまわりの人々の物語である。

ちなみに私はこのマンガは恋愛BLマンガではヒューマンドラママンガだと勝手に思っている。

 

さてなぜこのマンガをその時に思い出したのかと言うと、私が丁度この本に出会った時に盗作疑惑が発覚し、出版自体取りやめになってしまいかなり中途半端な状態で話が止まってしまったのである。

その後私も色々ありこの本の存在自体を忘れてしまっていたのだが、少し前に連載が完結し、その続編がまた連載しているということを噂で耳にしたからである。

 

そして私は微かに残る記憶とこの本を読んでいた当時のことを思い出し、区切りをつけるという意味でもこの作品をもう一度読んでみようという運びになったのだ。

私は手始めにアマゾンでこの本を検索してみることにした。そして題名の黄門様にも繋がるのだが、続編である「春を抱いていた alive」のレビューには性描写が萌えずに黄門様の印籠みたいだと言う言葉にたどりついたというわけだ。

 

確かにこの作品は実に長い間連載されていて、今年で連載20周年を迎えるらしい。(新田先生おめでとうございます、どうかこれからも私たちに潤いを与え続けてください。)

と、この作品の生みの親でもある作者の新田先生へのメッセージはこのぐらいにしておいて本題に戻ろう。

 

私は水戸黄門には決して詳しくはないのだが、黄門様が印籠を見せれば悪者が逃げて行くというシーンぐらいは知っている。そのシーンが時代劇水戸黄門のクライマックスであり最大の見せ場であるのだ。そしてBL漫画における最大の見せ場である二人がお互いの愛を確かめ合うシーンである。

このマンガでは実にさまざまな事件が起こり、時には二人の仲が危ぶまれる場面もある、しかし決まって最後は二人が仲直りなりをして幸せで溢れる二人の逢瀬のシーンになるのだ。

さらに付け加えると、二人はお互いのことを知り尽くしているので変わった愛の形を見せることは絶対にない。お互いがお互いのためだけを考えてその行為にいたるのだ。

 

これは確かに第三者から見たらマンネリというかもしれない。しかし、それがこの作品が長く読者を惹きつける魅力であると私は思う。読者はその「安心感」を求めてこの本にたどり着くのだ。

新しいものにばかり目を向けるのではなく時にはスタンダードと言われるもののにも注目してみるのもいいのではないか。そしてその安心感を実感してみるのも私はおすすめする。